それならば、教会で礼拝を捧げる[場讃頌は新約時代に、 「また来る」といったイエス様を待ちながら、
多くの美しい讃美歌が生まれました。<「ヨルダン川を渡って出会わん」、>迫害を受けていた時節に、
メシヤを再び迎えることができるその日に向かって、死を覚悟して行こうという信仰の歌です。
事実、2千年前のその時はヨルダン川がおそらく大きかったのだろうと信じます ところが、1970年代、68年にも行って見ましたが、
その時に行った時にはヨルダン川は小川のようでした。 そのように変わりました。
それで私はそのような歴史的な事実を見ながら、これから私たちが地上において天の父母様に待って生きる、
地上天国の生活を思い描いてみました。 それで、米国を中心に世界摂理をなしていた時代に、
本当に大きく文化活動をしたデビッド・イートンを韓国に来るようにしました。
それは多くの世界の美しい名曲をみる時に、その場所での感じを歌詞や歌として表現したものをたくさんみてきたため、
たとえば、イタリアのナポリを中心として美しい歌が出て来るのです。
そしてまた、その歌がその当時の環境、雰囲気を物語ってくれています。 たとえば、ドイツでしょう、たぶん。
(※シューベルトの歌曲集「冬の旅」の中の『菩提樹』を韓国語で歌われる)「城門の前、井戸のそばに立っている菩提樹
私はその陰の下、甘い夢を見た
枝に希望の言葉を刻んでおいて
嬉しい時、悲しい時、訪ねた木の下
訪ねた木の下
皆さんもこの歌詞を通して、ある雰囲気というものを感じるでしょう。
それで私は天一国時代に天の父母様に待って暮らす、真の父母と共に暮らす時代に、
皆さん方の讃類が変わらなければなりません。 中略
そうするためには、この誤美歌、新約時代の讃美歌は本当に美しいものが多いです。 行進曲だけでなく名曲が多いのですが、
私たちの天一国時代に文化苑をつくるようになった動機がそれです。 天一国の文化をつくらなければならないため、
必ずしも専門的な知識がなかったとしても、皆さん方が胸に染みて来て、真の父母と一つになってこの駅間の生、
さらには天の父母様に直接待ることができる聖殿を奉献し得る日を待ちながら準備する、
皆さんの精験と努力が、歌として天の前に!揚し得る、多くの宝物たちが出て来ることを願います。
始まりは私1人でしたが、今は皆さん方がいるので、 私が頑張ってみよう。